お仕事ファイル 第7回

科学ジャーナリスト
柴田 佳秀 さん
しばたよしひで・第7期生

第7回目は、テレビ番組のディレクターを務める一方で科学ジャーナリストとしても活躍される、第7期生の柴田佳秀さんです。(取材2004.03杉山)


科学ジャーナリストとは?

テレビ番組のディレクターが本業で、NHKをメインとした自然番組を作っているんです。同時に科学ジャーナリストとして生きものの観察をして、そこから得たデータを本や論文にまとめたり、ホームページで公開したりしているというわけです。自然のすばらしさをただ訴えるだけでなく、もっとジャーナリスティックな視点で切り取りたいというのが信念ですね。

生きものに惹かれた理由は?

生まれたときから生きものに興味があったという感じなんですよ(笑)。父親が釣り好きで、胎教が釣りだったというくらいですから。だから魚に限らず生きもの全般 に対する興味が自然にわいて、子どものころからなんの疑問もなく八国山や狭山丘陵などで生きものを捕って遊んでたんです。親があれこれ言わない人だったんで生きものに没頭できたし、環境がよかったんですね。

10歳から鳥類学を始めたとか

ええ。小学校のころ、小平霊園で鳥を見る集いというのがあったんです。興味を持って参加したら、子どもは僕だけで回りはオトナ、それも偉い人ばっかりだった(笑)。そこでかわいがってもらえたのが始まりですね。


出会いが運命を変えたと

そうですね。その後の人生を振り返ってみても、いい出会いがとても多かったです。やっぱり出会いは大切ですよね。

武蔵村山高校時代はどんな活動を?

高校では生物部にはいってました。顧問は加賀美先生。恐い人でねー(笑)。最初、生物部では鳥を扱っていなかったんです。だからやりたいと頼んだら、「勝手にやるならいいよ」と言われて。でも、それまで趣味でやっていたことを、はじめて科学として教えてくれたのが加賀美先生でしたね。

高校時代も環境に恵まれましたね

高校のころは狭山丘陵にいる生きものをすべてリストアップして、データをガリ版でまとめて目録を作ったりしていました。2年のときは部長でした。実を言うと、僕は最初ムサムラに入ろうと思っていたわけではないんですよ。志望校に落ちたんですね(笑)。それで二次募集で入ったんです。でも結果 的にムサムラに入ってほんとうにラッキーだったと思っています。新設校だから先生がみんな若く、ひとりひとりの先生がそれぞれ理想を持って教育されてたんですよね。だから学校は楽しかった。僕は相当かわいがられてましたが、それも学校を好きだという思いが伝わったからかもしれませんね。

その後大学に進学されたのですね

高校での勉強は好きでしたから普通にやってました。でも二浪したんですよ。はじめ東京水産大学に行きたかったんですけど、最終的には東京農大に進みました。


東京農大ではどのような研究を?

農大ではアメンボの研究を4年間ずっとやってました。生物研究の基本は個体数を数えることなんです。アメンボって水たまりに行くと必ずいるからデータを取りやすい。それにアメンボを扱おうという人はほとんどいないんで、簡単に研究者として5本の指にはいっちゃいました(笑)。

それはすごいですね

僕は凝り性なんで、データに穴が空くのがいやなんですよ。今年じゅうにアメンボの本を出す予定です。アメンボなら子どもにもわかりやすいので、子供たちに興味を持ってもらいたいですね。

大学卒業後は?

最初は教師になろうと思ったんです。教育実習でムサムラに行きましたよ。でも、教員採用試験ってなかなか受からないんですよね。だからすぐに諦めました(笑)。だったら就職しようと思って食品関係を探したら、ある会社の商品開発部にすんなりと内定が決まっちゃった。ただ「ほんとうに決めちゃっていいのかな?」と葛藤もしていました。そうしたらちょうど知人を通じて鳥の映像制作のアルバイトを紹介されたんです。

それが就職につながったわけですか?

はい。アルバイト期間が終わるころには「鳥で仕事ができるならそれほどいいことはない」と思い始めました。それで「入れてください」って頼んだら簡単に「いいよ」って(笑)。

就職当初はどんな仕事を?

最初からディレクターとしてどんどん撮っていたのですが、入社3年目の北極取材が印象的でした。「NHK生きもの地球紀行シリーズ」の「ロシア北極海の夏・ハクガン6万羽ツンドラの子育て」という番組で、これを作るために北極に3ケ月半いたんです。毎日毎日、鳥を観察し撮影をします。研究者とカメラマン、僕の3人だけでずっと白夜の中で生活していました。


大変な仕事ですね

この仕事は「撮れませんでした」で終わらせるわけにはいきません。趣味でやるバードウォッチングとは全然違うんです。取材費も動いているわけだし、責任が重大なんです。天候なども影響してきますから、運を味方につけないとなりません。テレビの世界はとかくハデに見られますが制作会社って給料も安いんですよ(笑)。好きなことをやっているぶん、充実感はありますが。 

ところで「トトロのふるさと財団」とは?

僕はこの財団の理事をしています。高校生のとき、狭山丘陵のオオタカを密猟者から守るため、監視活動をする運動があったんです。それに参加したらまたかわいがられて…。そこにいた人たちがいま「財団法人トトロのふるさと財団」のメンバーなんです。

若い同窓生にメッセージを

僕は早い段階から好きなものが明確に決まってたんで、そのまま来ただけなんです。でも、それがよかったんですね。見つかれば軸ができますから、やはりその点が重要でしょうね。あとは物怖じしない姿勢。僕は興味があればいろんな人のところにすぐ行ってしまい、そこから道が開けた。つまり、積極的に人と関わることですね。あとは……裏切らないように誠実に取り組むってことでしょうか。

ホームページも積極的に更新されていますね

自分のホームページをはじめたきっかけは、テレビには限界があると思ったからなんです。映像は誤解されることが多いんですよ。生きものがすごく歪曲されて取り上げられることもあるし、自然番組を見ても間違いがすごく多いんですね。でもホームページでなら、自分の言いたいことを際限なく表現できますから。


伝える熱意を感じますね

一般的に言って、テレビ番組を作るマスメディアの人間はあまり専門知識を持っていないのです。一方研究者はデータ重視で分かりやすく伝えようとはしない。つまり僕のような間をつなぐ人間が必要なんです。そういう意味で、責任は重いと思っています。 


北極ロシア・ウランゲリ島にて。 頭にとまっているのはシロハラトウゾクカモメ。
北極ロシア・ウランゲリ島にて。 頭にとまっているのはシロハラトウゾクカモメ。

柴田佳秀さんプロフィール

10歳で鳥類学に目ざめる。東京農業大学農学部農学科昆虫学研究室卒業後、テレビ番組制作会社に入社。以来テレビ番組ディレクターとして「NHK生きもの地球紀行シリーズ」、「NHKハイビジョン 大自然スペシャル」、「NHKさわやか自然百景」など数多くの番組制作に携わる。鳥類学全般 を専門分野とする科学ジャーナリストとしても幾多の実績を持ち、講師なども務める。1991年、日本人として初めて旧ソ連カムチャツカでオオヒシクイのバンディング調査に参加。1993年、ロシア北極海の島、ウランゲリ島でハクガンの調査に参加。ここ7年は世界のカラスの生態、東京のカラスの生態取材・調査研究を続けている。財団法人トトロのふるさと財団理事、日本鳥学会会員、日本雁を保護する会会員、都市鳥研究会会員。

ホームページは、http://shibalabo.eco.coocan.jp